【人的資本特集⑥】
従業員の健康と安全を守る取り組み
~デジタル技術によって変わる労働災害防止のあり方~

2024.07.11

新谷 晃司

(株)日本能率協会総合研究所 経営・人材戦略研究部 研究員
メーカーにて工場人事を経験後、同社へ入社。エンゲージメントサーベイやコンプライアンス意識調査等、各種調査業務に従事。

1.はじめに

 労働災害の防止は企業の重要な課題であり、昨今では事故を防ぐということだけでなく、健康経営という文脈の中で語られることも多い。内閣官房の人的資本可視化指針[参照1]においても、開示分野の1つに「健康・安全」があり、労働災害の発生件数・割合・死亡数等が開示事項の例として挙げられている。本稿では、社会状況の変化も踏まえつつ、労働災害防止のための効果的な取り組みについて考えたい。

2.働き手や働き方の多様化による労働災害のリスク増

 厚生労働省が公表した労働災害発生状況の統計[参照2]によると、令和5年の労働災害(新型コロナウイルス感染症へのり患によるものを除く)による死亡者数は755人(前年比19人減)と過去最少となった一方、休業4日以上の死傷者数は135,371人(前年比3,016人増)と3年連続で増加している。死傷者数に関しては、20年ほど前の水準と比べても大きく変わらず、膠着状態にあるといえる。
 労働災害の減少が難しくなっている理由の1つとして、働き手や働き方の多様化が挙げられる。労働者の高齢化が進む現代社会においては、特に「転倒」や「腰痛(動作の反動・無理な動作)」のリスクが高まっており、実際に前述の厚生労働省の統計でも、これらの労働災害が近年増加傾向であることが見てとれる。さらに、高齢になるほど暑さに対する感覚機能や体の調節機能が低下するため、「熱中症」のリスクも高くなる。また、デスクワークが中心の労働者についても、労働災害に無縁というわけではない。コロナ禍以降リモートワークが急速に普及したが、自宅の作業環境の未整備による「腰痛」等のリスクのほか、仕事とプライベートの境界が曖昧になることから生じる「長時間労働」、孤立感等からくる「メンタルヘルス不調」等のリスクの増加も指摘されている。このような労働環境の変化に伴い増加しているリスクに対して、効果的な対策を講じていく必要がある。
 ちなみに、2022年5月に上場企業の労働安全衛生部門を対象として弊社が実施した調査では、各種の労働災害に対する企業のリスク評価[図表1]について尋ねている。結果を見ると、「熱中症」「墜落・転落」「転倒」は、「重大な問題がある」「問題がある」の合計が3割以上となっており、特に問題として認識している企業が多いことがわかる。

[図表1]

3.導入が進むデジタル技術を活用した製品・サービス

 働き手や働き方の多様化に伴い、人の要素における安全管理が難しさを増す中で、人の機能を補完する新たな管理方法が求められている。例えば「熱中症」や「転倒」は、先ほどの図表1の通り企業の問題認識が高かったが、いずれも作業環境・作業側の要素を管理することが困難な災害であるという特徴がある。これらは教育・研修によって改善を試みたとしても、労働者の注意力には限界があるため、なかなか成果が上がりにくい。そのような中で、労働者側の人の要素に対して、デジタル技術を活用した対策の推進が期待されている。
 先ほども触れた弊社の調査では、労働災害防止のためのデジタル技術を活用した製品・サービスの導入状況[図表2]や導入後の効果の実感[図表3]についても尋ねている。製品・サービスの内容としては、ウェアラブルデバイスによる心身状態の計測・モニタリングや、VR技術を用いた仮想的な危険体感教育、タブレット端末による設備の遠隔監視・操作、ICTを活用した危険検知・アラーム発信・強制停止の自動化等が挙げられる(これらの導入事例については、日本経済団体連合会のホームページ[参照3]等で紹介されている)。2022年時点では、これらの製品・サービスに対する関心は高い一方で、実際の導入や具体的検討の段階にまでは至っていない層が多数派であった。一方で、導入した企業においては、ほとんどの場合で効果を実感しているようである。「検討の結果、導入に至らなかった」という場合の理由については、費用対効果や機能・精度の不十分さ等が障壁となっているケースが多い傾向にあったが、調査から2年が経過し、製品・サービスの量も市場に増え、質も以前より向上してきている。現時点では、この調査結果以上に導入や検討が進んでいるものと考えられる。

[図表2]

[図表3]

4.“安全”の方向へ動機づけるマネジメントの重要性

 最新のデジタル技術の活用は、今までは難しかった側面からの対策が可能となり、労働災害の防止に直接的に寄与することが期待される。一方で、従業員に安全を意識して仕事に取り組んでもらうことの重要性は変わらない。心理学者のWildeが提唱したリスク・ホメオスタシス理論によると、リスクが低減されたと感じたときにかえって行動がリスキーになり、リスクの水準が元に戻ってしまうという現象が起こりうる。これは例えば、信号がないところでは注意深く周りを観察したうえで道路を渡るのに、信号があるところでは青になったらあまり周りを見ずに進んでしまう、というようなことを指す。ウェアラブルデバイスによる心身状態のモニタリングを例にとれば、体調の悪さを感じているのに「(体調不良等を示す)アラートが出ていないから大丈夫だろう」とかえって無理をしてしまう(あるいはさせてしまう)ようなことになっては本末転倒である。デジタル技術等を導入し安全性が向上したとしても、“リスク”の方向ではなく“安全”の方向に動機づけられるよう、そのためのマネジメントは怠ってはならない。
 従業員の意識や組織のマネジメントの状況を確認する方法の1つとして、従業員へのアンケート調査(意識調査)が挙げられる。調査から得られた回答結果をもとに、取り組むべき課題や対策を打つべき層を明らかにできるため、その後の施策を検討するための有用な情報となる。弊社では長きにわたり、従業員意識調査の支援をしているが、調査の中に安全や健康に関する質問を組み込んでいるケースも数多くある。詳細な分析を行いたいのであれば、そのテーマに特化した独立の調査を実施することが望ましいが、その分コストや手間はかかる。すでに社内で従業員向けに意識調査を実施しているのであれば、その中に安全や健康に関する質問も入れられないか、検討してみるとよいだろう。
 ここまで見てきたように、労働災害防止のあり方はデジタル技術の進展とともに大きく変わりつつあるが、それらを効果的に活用していくためには、安全・健康への意識や、それを維持・向上していくためのマネジメントが重要といえる。本稿の内容が労働安全衛生や健康経営の活動を推進していくための一助となれば幸いである。

[参照1]
内閣官房 「人的資本可視化指針」
https://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/20220830shiryou1.pdf

[参照2]
厚生労働省 「令和5年の労働災害発生状況を公表」
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_40395.html

[参照3]
一般社団法人 日本経済団体連合会 「最新技術を活用した労災防止対策事例集」
https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/115.html

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