【人的資本特集③】
ENEOSのハラスメント問題に学ぶ「常識」のアップデートの重要性

2024.06.20

前島 裕美

(株)日本能率協会総合研究所 経営・人材戦略研究部 主任研究員
お茶の水女子大学大学院(修士)修了後、2002年4月に入社。
主に、企業のコンプライアンス・ガバナンス推進支援、エンゲージメント向上、ダイバーシティマネジメント等のテーマを得意とする。
昨今では企業の不祥事に関する調査・研究、コンプライアンスをテーマとした講演の他、日本経済新聞をはじめとした全国紙・インターネットニュースへの掲載、TV・ラジオ出演などの実績がある。経営倫理士。

1.人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンの位置づけ

 人的資本経営とは、“人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方”と経済産業省が定義している。そして、人的資本経営を進めるにあたって、ダイバーシティ&インクルージョンは欠かせない要素の一つであると言える。ダイバーシティは「多様性」、インクルージョンは「受容性」を意味しており、特にここ数年、多くの企業がダイバーシティ&インクルージョンを社内で推進するための方針や施策を打ち出している。
 なぜ、ダイバーシティ&インクルージョンを意識した経営が必要なのかというと、人種や考え方など一人ひとり異なることを「多様な人材」として受容し、イノベーションを生み出し価値創造につなげていくことを目指しているからである。ダイバーシティ推進というと、女性管理職の比率向上、外国人・高齢者・障がい者雇用の促進、テレワークの環境整備などが一般的な施策として認知されているが、果たして企業はこのままダイバーシティ&インクルージョンに関する施策を計画・推進するだけで良いのだろうか。
 エンゲージメントやコンプライアンスに関する調査・分析を通じ、20年ほど企業の業務支援を行っている筆者の所感からすると、施策を計画・推進することは必要であると思う一方、形だけのダイバーシティ&インクルージョンにならないかという点を懸念している。それは、各人の“常識”が過去から変化していない、アップデートできていない層が、少なからず存在していると感じるからである。
 現状のまま経営層や従業員の“常識”が変わらない中で様々な施策を展開したとしても、“本音”と“建前”の狭間で制度が形骸化するだけであり、十分な効果は得られないと推察される。特に経営層が過去の“常識”を引きずったままでは、施策が有効に機能しないだけではなく、企業の不祥事にまで発展してしまうことがある。本稿では、具体的な例を挙げつつ、“常識”をアップデートしていく重要性について考えていきたいと思う。

2.ENEOSで相次いだトップのセクハラ問題

 経営層の“常識”が残念ながらアップデートされていなかった一例として、3年連続でトップがセクシュアルハラスメント(セクハラ)問題で辞任・解任となったENEOSの事例を取り上げたいと思う。本件の概要であるが、まず2022年にENEOSホールディングスの会長(当時、以下同様)が飲食店で接客をしていた女性に対して性的に不適切な行為を行ったとして辞任、2023年には上記の問題を受け、再発防止に取り組む考えを示していたENEOSの社長も、懇親会の場で同席していた女性に対し、酒に酔って抱きつくといった不適切な行為があったとして解任されている。さらに2024年にはENEOSホールディングス傘下のグループ会社の会長が、懇親の場で女性に不適切な行為を行ったとの内部通報があり、解任される事態となったのである。そもそもトップがセクハラ行為を行うこと自体が大きな問題であるが、3年連続で関係会社のトップ3名が同様の不祥事を起こし、辞任・解任されているという点に着目したい。それは、トップ自らがセクハラに当たる行為が何であるのかを理解しておらず、処分の前例があるにもかかわらず“自身は関係ない”と常識のアップデートを怠っていたことが要因ではないかと考える。

3.セクシュアルハラスメントという概念の日本での広がり

 「セクシュアルハラスメント」という言葉は、今から35年前の1989年(平成元年)、「新語・流行語大賞」の新語部門金賞となった。さらにその3年後の1992年、日本で初めての「セクハラ訴訟」があり、原告の女性が完全勝訴している。判決では、まだなじみのなかったセクハラという言葉は使用されなかったものの、訴えを起こした女性の上司にあたる男性による発言が不法行為にあたると判断され、会社に対しても、男女を平等に扱うべきであったにもかかわらず、女性の譲歩、犠牲で職場環境を調整しようとした責任があると認定した。そして上記の訴訟後、女性による同様の訴訟が各地で起こされることになる。また、男女雇用機会均等法が改正され、1999年4月からは、事業主にセクハラの防止や対策に努める配慮義務が課されるなど、セクハラに関する法制化も進んでいった[出典1]。
 その後、セクハラという概念は日本に浸透していったものの、現時点においてもセクハラは企業内で撲滅できていない状況である。なぜ前述のENEOSの件をはじめ、セクハラに関する不祥事が後を絶たないのか。それは、未だ自身の“常識”がアップデートされていない層が多いからではないかと考える。例えば、コンプライアンス意識調査を企業内で実施した際に、「セクハラ行為を受けた/見かけた」層に対し、「どのようなことをセクハラ行為だと思ったか」を問うケースがある。その回答として、現在においても「職場での性的な画像・文章の掲示」や「飲み会においてお酌や飲酒を強要される」など、セクハラが「新語・流行語大賞」となる前の、昭和時代の職場を想起させるような回答が寄せられることがある。
 分かりやすい例と比較すると、昭和では日常的に見られた“職場の自席に灰皿を置き、喫煙しながら仕事をする”というケースにおいては、現在ほとんどの企業で職場外に喫煙所が設けられ、自席で紫煙をくゆらすという光景は見られなくなっている。それは“職場内では喫煙してはならない”ということが企業で働く人の“常識”に変化したからである。セクハラについても、厚生労働省は“「職場」において行われる、「労働者」の意に反する「性的な言動」に対する労働者の対応によりその労働者が労働条件について不利益を受けたり、「性的な言動」により就業環境が害されること”と明確に定義はしている。しかし、以前と比較すると発生頻度は減少しているものの、コンプライアンス意識調査ではいずれの企業においても「身体的特徴や年齢・結婚の話題」をはじめとしたセクハラが、未だに見られる状況となっている。それは、一定の割合でセクハラに対する感度が低い、つまり、「セクシュアルハラスメント」という言葉は知っていても、その内容を真に理解していない層が見られる裏付けと言えるのである。

4.“常識”のアップデートの重要性

 セクハラや、ダイバーシティ&インクルージョン等の概念については、一度理解するだけではなく、常に世間の常識の変化を頭に入れ、自身の認識をアップデートしていくことが非常に重要である。前述のENEOSのトップについても、セクハラに関する“常識”がきちんとアップデートされ、常識的な行動を取ってさえいれば、解任・辞任に追い込まれる事態にはならなかった。また、ENEOSの2024年の不祥事については、内部通報窓口がきちんと機能しており、内部通報がトップの解任に繋がっている。この件については、ENEOSのコンプライアンスに関する仕組みや有効性が評価できる点と言える。しかし、いくら仕組みが有効で従業員のコンプライアンス意識が高かったとしても、トップがハラスメント問題を起こすことで、ENEOSのグループ理念である「高い倫理観」の信頼性が揺らぎ、結果として企業イメージを低下させる事態に陥ってしまったのである。
 上述の通り、セクハラですら企業トップの“常識”がアップデートされていない状態で、多様性(性別、国籍、年齢、障がいの有無など)の尊重・活用が今の日本企業で実現できるだろうか。日本財団が2021年に調査した「ダイバーシティ&インクルージョンに関する意識調査」においては、「日本社会には、社会的マイノリティへの偏見や差別がある」と85.9%が回答している。また、「この2~3年で、D&Iへの理解や推進すべきという気持ちは高まった」という問いについては、10代では約6割が肯定的な回答をしているのに対し、50代ではわずか約3割にとどまっている[出典2]。上記の結果からも、年齢が高い層、つまり経営層に近いほど、ダイバーシティ&インクルージョンの重要性を感じていないという結果となっている。このような中、いくら企業内でダイバーシティ&インクルージョンの施策を推進したとしても、形骸化してしまう可能性が高いと言えるのではないだろうか。
 本稿の冒頭でも述べた通り、人的資本経営の視点から、ダイバーシティ&インクルージョンの施策を検討し推進することは、重要なことである。ただ、施策を推進する前に、企業内、ひいては業界や社会全体で「なぜ多様性が重要なのか」という共通認識を持つ必要がある。例として挙げたセクハラについても、“どのような言動がセクハラに当たるのか”という時代と共に変化する常識を皆が共通で持ち、更新していく必要がある。ダイバーシティ&インクルージョンに関しては、セクハラよりも、さらに共通認識化するのが難しい問題と言えるだろう。しかし、難しいからといってそのまま形だけの施策を推進していては、人的資本経営は進まない。今こそ、経済界全体において、ダイバーシティ&インクルージョンの重要性を訴求し、経営層をはじめ各人の常識をアップデートするように啓蒙していくことが重要ではないだろうか。その取り組みが、今後さらなる経済の発展に繋がる第一歩であると考えている。

[出典1]
読売新聞オンライン(2024.3.12)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240309-OYT1T50194/

[出典2]
日本財団HP(2021.11.30)
https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2021/20211130-64961.html

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