
2026.09.01

(株)日本能率協会総合研究所 経営・人材戦略研究部 研究員
主として民間企業・公的機関の従業員エンゲージメント調査に従事。「働きがいに関するアンケート」等の自主調査に参画。人材系IT企業を経て、2023年11月より現職。
近年、日本企業の間でも「人的資本経営」という言葉が広く浸透している。これは、従業員一人ひとりの知識やスキル・経験・意欲は投資をすべき「資本」として捉え、持続的な企業価値の向上を目指す考え方である。
2023年3月期以降、有価証券報告書での人的資本に関する情報開示が義務化された。人材育成方針や社内環境整備方針、それらに関する指標や目標、実績などの開示が求められるようになり、企業には、人材に関する取り組みについて説明責任を果たすこと、そしてその実効性を担保することが、いっそう求められている。
また、2026年3月には「人的資本可視化指針(改訂版)」が公表され、経営戦略と連動した人材戦略の策定や、人的資本に関する指標・目標の設定と開示について、より具体的な考え方が示された。
その中で、役員報酬に対して、従業員の働きがいやエンゲージメントといった人的資本に関する指標を連動させるケースが見られるようになった。つまり、人的資本経営を「開示」にとどめず、実際の経営行動に結びつける動きとして、従業員エンゲージメントや働きがい指標を役員報酬の評価項目に組み込む企業も見られ、人的資本を企業価値向上の中核指標として位置づける姿勢が強まっているといえる。
株式市場の側面からも人的資本に関する関心が高まっている。2025年7月より、新しい株価指数として、人的資本に関する評価が高い100社を選定した「JPX日経インデックス人的資本100」の算出が開始され、人的資本への取り組みが株式市場において評価の対象となることが示唆されている。
本指数を構成する100社の2025年度の統合報告書ないし有価証券報告書を対象に
①エンゲージメントや働きがいに関する意識調査結果の開示状況
②役員報酬における非財務指標との連動
③役員報酬における従業員エンゲージメント・働きがい指標の連動
の3点について独自に調査した(2026年5月時点)。
①エンゲージメントや働きがいに関する意識調査結果の開示状況
従業員エンゲージメント調査の結果を開示している会社は全100社中81社見られた。ただし、具体的な結果は開示していないものの、エンゲージメントサーベイ等を実施しているという言及が見られた会社もあり、100社のうち、大半の会社において従業員エンゲージメントを測定していることが明らかとなった(図1.A)。
従業員エンゲージメントについては現状、明確な定義や認定等が設定されているわけではない。そのため、社内でアンケートを実施して分析する会社もあれば、専門の調査会社へ委託する会社も見られる。エンゲージメントの外部への開示の際には、調査会社が保有する他社のデータをベンチマークとするケースや、各社が独自に設定している主要指標についての回答の平均値ないし肯定回答割合を開示対象とするケースが見られ、各社各様の状態となっている。従業員エンゲージメントの状態は各社の経営戦略を実現するためのストーリーと紐づけて指標を設定し、測定・活用していくことが望ましい。
②役員報酬における非財務指標との連動
役員報酬と非財務指標との連動については、全100社中67社において連動が見られた(図1.B)。
非財務指標については多くがESG指標と連動しており、ESGレーティングや、気候変動に関する取り組み、人材ダイバーシティ(女性管理職比率、育児休業取得率)等が主となっている。近年、人的資本に関する情報開示の制度化や、経営戦略と人材戦略との連動が重視されるようになったことを背景に、役員報酬の評価においても、人材や組織に関わる指標を取り入れる動きが見られる。
③役員報酬における従業員エンゲージメント・働きがい指標の連動
さらに、非財務指標の中でも、特にエンゲージメントサーベイ結果との連動については全100社中36社見られた(図1.C)。
弊社のご支援している企業の中にも、従業員エンゲージメントと役員報酬の連動を意識して、エンゲージメントサーベイの調査項目や目標値を精査する事例もある。役員報酬の評価指標として活用するためには、画一的な指標を用いるのではなく、各社の経営方針や人的資本戦略を踏まえ、目指す組織状態を適切に捉えられるよう、調査項目や目標値を個社ごとに設計することが重要である。
参考として、図2にて、人的資本の開示状況を整理する。全100社のうち、エンゲージメントサーベイ結果を開示し、かつその結果を役員報酬と連動させている会社は33社となる。
なお、役員報酬における非財務指標の連動比率は、各社の公表しているデータからの推計となるが、概ね変動給の10%未満となる。
図1. JPX日経インデックス人的資本100における外部向け開示状況
A. 統合報告書・有価証券報告書において、エンゲージメントサーベイ結果の開示の有無
B. 役員報酬において、非財務指標(ESG指標)との連動の有無
C. Bのうち、特にエンゲージメントサーベイ結果との連動の有無



図2. (参考)JPX日経インデックス人的資本100における外部向け開示状況の詳細(単位はいずれも(社))
(出所)当社作成

もっとも、人的資本指標、特に個人や組織の状態を示すエンゲージメントを役員報酬に取り入れる際にはいくつかの課題がある。ここでは従業員エンゲージメント調査の結果を連動させるうえでの留意点を示す。
人的資本の指標には、従業員エンゲージメントや育成といった定性的な要素が多く、成果を短期的に測定することが難しい。
よく知られている原則に、グッドハートの法則がある。「ある指標が目標管理のために使われた瞬間、その指標としての意味を失う」、すなわち、測定(スコアの算出)を目的化した瞬間に指標の本質が失われる、という警句である。
もしエンゲージメント調査の結果を単純に役員報酬と結びつけてしまえば、「調査結果(スコア)を上げること」が目的化し、調査設計や現場の回答姿勢が歪むリスクがあり、数値だけが良く見える「形式的改善」が起こりかねない。そのため、「単年の調査結果(スコアなど)」とともに、「人的資本経営推進に向けた取り組みの実行状況」といった行動ベースの評価軸を設定することが望ましい。
2024年度に、ビジネスパーソン10000人に向けて「働きがいに関するアンケート」調査を実施した際に、12.5%の回答者が、会社の実施するアンケートにおいて、会社に忖度した回答を行っていることが示された。
図3. エンゲージメントの高さと意識調査の忖度の関係
各層は弊社独自の定義であり、
エンゲージメント層:ワーク・エンゲージメント、エンプロイー・エンゲージメントいずれも高い
安住層:ワーク・エンゲージメントが低く、エンプロイー・エンゲージメントが高い
個人主義層:ワーク・エンゲージメントが高く、エンプロイー・エンゲージメントが低い
不満層:ワーク・エンゲージメント、エンプロイー・エンゲージメントいずれも低い

図3より、意識調査において、エンゲージメントが高い「エンゲージメント層」においては、87.1%が正直に回答し、エンゲージメントが低調な「不満層」においては、53.0%が正直に回答している(17.8%が回答に忖度している)ことが示唆される。すなわち、エンゲージメントの高まりは社内のアンケート結果の信頼性にも寄与しうると考えられる。
2026年3月には「人的資本可視化指針(改訂版)」が公表され、人的資本と経営戦略との連動に関する開示がさらに重視されるようになった。今後、企業に問われるのは、人的資本について何を開示するかだけではなく、それを経営としてどう実践するかである。
役員報酬に従業員エンゲージメント指標を組み込むことは、その実践姿勢を示す有効な手段となりうる。役員報酬は、経営が何を重視するかを映し出す仕組みであり、そこにエンゲージメント指標を加えることは、従業員の働きがいや組織の状態を、経営が責任を持って向き合うテーマとして位置づけることを意味する。
ただし、エンゲージメントサーベイは単に組織状態のスコアを測るためだけのものではない。組織の状態を可視化し、経営課題を明らかにするための手段である。だからこそ、役員報酬との連動では、数値の上下だけでなく、その結果をどう受け止め、どのような組織改善行動につなげたかが問われる。
エンゲージメントサーベイを役員報酬に活用することは、人的資本経営に対するトップの本気度を示すとともに、従業員エンゲージメントを中長期的な組織づくりへとつなげていく、重要な一歩となりうるのではないだろうか。
©2024 JMA Research Institute Inc.