CSマインド社長 小名川 眞治郎氏
イノベーションコンサルティンググループ代表 日高 廣見氏
「お客さまの満足を組織的に創りつづける経営」、それがCS経営(Customer Satisfaction Management)である。
いまや産業界では当たり前のように使われている言葉だが、これは日本能率協会(JMA)グループが20年前に提唱しはじめた考え方だ。
その誕生の背景や普及への道のり、そしてCSの今後などについて、当時のプロジェクトにかかわった小名川眞治郎氏と日高廣見氏に語ってもらう。
小名川 JMAグループが1980年代後半にCSのプロジェクトを立ち上げるころ、日本能率協会コンサルティング(JMAC)に所属していた私は、「サービス」をテーマにコンサルティングに取り組んで2年が経過したところでした。
当時、製造業のコンサルティングにおいては、「効率化」が中心テーマでしたが、私は流通業へのコンサルティングを通して、「サービス」にも注目していました。世間でも「サービスが競争の武器になる」というキーワードが出てきたように感じます。
実際にそのころ、あるボイラーメーカーの社長から「これからメーカーはサービスの時代に入る。われわれにとってのサービスとは、ボイラーが正常に機能するための的確なメンテナンスである。したがってメンテナンスに力を入れるため、有料のメンテサービスシステムを構築したい」との相談を受け、今後、サービスがきわめて重要になるだろうと確信しました。
アメリカでは「顧客の満足」という切り口で指標をつくるなど、CSがはやっているという情報を得ていたのも、このころです。
日高 JMAグループではサービスという観点から経営を見直そうと提案し、グループ全体で研究をはじめ、1989年9月に『サービス品質・生産性革新の提言』を出しました。
そこには「サービス経営」「サービス品質」という言葉が登場し、モノとサービスの考え方についても触れていますが、サービスが経営の決め手になるという認識は、まだ強くはなかったと思います。
世の中の意識が大きく変ったのは、90年3月に発行されスカンジナビア航空の劇的な業績回復を描いた『真実の瞬間』が、ベストセラーになったころからでしょう。JMAはこうした流れを先取りしていたといえます。
小名川 JMAから提言が出て、モノにプラスαしてサービスを加えるのではなく、モノとサービスは一体だという理論が強くなってきました。
私自身もサービスのコンサルティング経験から「サービスの行き着くところはCSである」という考え方にすぐ結びつきました。そんなときに、CSは注目すべき大きなテーマであり、JMAグループとして1つの研究プロジェクトを立ち上げようということになったのです。
日高 私はそのころ、日本能率協会総合研究所(JMAR)で、CIの導入コンサルテーションをしており、まだCSプロジェクトのメンバーではありませんでしたが、その当時は具体的にどんなことをしていたのでしょうか。
小名川 CSというのはどういう感覚の言葉なのか、「サービス」と「CS」は違うのかなど議論していました。そこで、各法人スタッフが集まり、海外事例を視察しに行くことになったのです。
スカンジナビア航空、リッツカールトンホテル、プルデンシャル生命保険、シティバンクなどを視察したほか、ベストセラー『逆さまのピラミッド』の著者のカール・アルブレヒトにも会いに行き、「CS起点が経営を強化する」ということを学びました。
帰国後、各法人の得意領域を活かしながらどういうことができるか、何をコンセプトにするかなど、毎週ミーティングを重ねました。やがて他社からもCSの提言が出はじめたので、これは急がねばと、集中的に議論した記憶があります。そして「CS経営」という言葉を前面に出すようになったのです。
日高 私は「CS経営」との言葉が決まる前ころからプロジェクトに参加したのですが、当時、JMAの副会長でプロジェクトの全体統括をしていた畠山芳雄さんが、「まず、本を出そう」と宣言したことを鮮明に覚えています。
それも悠長なことをしていてはダメだからすぐに出版しようということに。そんな無茶な、と思いましたが「3カ月もあれば十分ではないか」と、鶴の一声で出版が決まりました。
畠山さんは理念的な部分を、小名川さんが経営改革の進め方を、JMAのサービスマネジメント推進事業部技術部長の大倉征俊さんが国内外での事例を、そして私がお客さま満足度測定の方法を、というようにそれぞれ分担して書きあげましたね。
小名川 すでに都内でシンポジウムを行うというストーリーができていたので、その前に本を出さねばならなかったから、勢いがありましたね。
実は私は当時、コンサルティングから離れて研究をしており、そのセクションの名が「サービス経営開発室」でした。「サービス」は経営の武器であり、経営全体でAugust 2011 10推進していかねばならないものです。CSに対する私の思いも同様で、サービスをCSに置き換えてもいいなと思っていました。
日高 何度めかの打合せで、本のタイトルは何にしようと議論になり、当初は「カスタマー・サティスファクション・マネジメント」の案が出ました。しかし、あまりに当たり前すぎるというので、たしか小名川さんが「CS経営」と命名されたのを記憶しています。
漢字とアルファベットが併記されていて最初は「何これ?」と思いましたが、それが逆に「何だろう?」と関心を呼び起こすことにつながったと思いますね。ヒットだったと思います。
この「CS経営」はJMAグループの登録商標にまでしてしまったんですから。本来このビジネス用語はJMAグループしか使えないはずですが(笑)。その後、あっという間に一般化しましたね。
結局、書籍のタイトルは『CS経営のすすめ』に決まり、91年7月10日に初版約3,000部が発行され、1週間で売り切れになったのはうれしかった。
小名川 日本国内の企業に「CS経営」を導入してもらう、いいきっかけづくりとなったと思います。
日高 書籍づくりと並行して行ったのが、いろいろな商品・サービスに対するCSを測定した「CSランキング調査」です。
91年5月に調査し、同年10月5日付の日本経済新聞の経済教室でその結果が掲載されるなど注目されました。その後、調査の詳しい内容を知りたいという問い合わせも各所からいただき、それまでCSと遠いところにいるような立場の人から原稿や講演の依頼がくるなど、産業界にいろいろな形でインパクト与えたと自負しています。
小名川 このころ、ライバル社に負けないように一気呵成に話題づくりに努めました。
書籍を出して2年目くらいには、アメリカの国家経営品質賞であるマルコム・ボルドリッジ(MB)賞のスタディツアーも実施。このような国家的なレベルの日本版MB賞ともいえるCS賞なるものを創設しようという話もありましたが、結局実現できなかったのは残念です。
しかし、「CS経営」という新しい概念を提案し、普及のきっかけをつくったのはJMAグループだといえるでしょう。
従来は企業サイドの発想でしたが、「CS経営」では180度違ってお客さま視点から見ることの大切さを訴求しています。
たとえば、大切なのは「顧客獲得」から「顧客維持」に、「売り込み」から「コミュニケーション」にとの意識が高まりました。コンサルティングをするうえでも「業務プロセス」からではなく、お客さまの行動プロセスから分析が始まるとの考えに変わりました。
お客さまの動きに合わせて、企業がどう変わっていかねばならないかが重要視されるようになったのです。
日高 私はそれまでCIに携わってきていたので、CIを通して自社はどうあるべきかという企業側、すなわち内側の視点から発想していました。しかしCSプロジェクトにかかわり、外側、すなわち消費者からの視点で経営を考える初めての機会を得て、非常に新鮮さを覚えました。
小名川さんはコンサルタントとしてCS経営を進めるにあたり、どのような思いがありましたか。
小名川 当初は「CSは大事だがそれで儲かるのか」といわれましたね。
「CSを追求したらコストがかかった」「お客さまのわがままに翻弄されてしまうのでは」という声も根強くありました。しかし「CSなくして利益が出るわけがない」というのが私の答えです。
メーカーであってもサービスに注力し、顧客に役立つものを提供すれば大きな経営基盤になるのです。先に話したボイラーメーカーでも、メンテナンスサービスを始めてお客さまのところに行くと、いま何が問題か、ニーズもわかるようになったといいます。そういうサイクルがメーカーとして大きな強みになるのだろうと実感しました。
また、いわゆるサービス業も同じです。たとえばゴルフ場などでも「また行きたい」と選ばれるゴルフ場になるように、いかに評判を形成するか。そのもととなるのはCS経営にほかなりません。
CSを大事にしている経営者に会ってきたので、私もぶれずに「CSは強い」ということができました。それでもCS経営をしたらいくら利益が上がるのかということには悩みましたが。
日高 日本では「利益は後からついてくる」というように、ある種の精神論に逃げてしまうこともありますが、アメリカはきちんとしたデータをつくるのが得意です。
JMARは95年2月にアメリカの世論調査会社ギャラップと共同出資してCS調査を行うギャラップ・ジェイマールを設立しています。私が社長となりましたが、そこではCSが高い組織と低い組織における利益率の差などデータ解析もしていました。
小名川 現場と経営者との考えに温度差を感じることもしばしばありました。
企業にCSのコンサルティングに行くと、たいていプロジェクトのマネジャー層から「CSをすると業績にどれだけ影響があるか」と質問されるのですが、社長に会ってみると、そうした意識はほとんどなく、どんどん進めてほしい、という。
日高 いまではもう、温度差を感じることはないでしょう。CSを考えるのは、経営にとって当然のことになったと思います。
小名川 逆に言えば、結果的にCSに注力し対応できた企業が生き残っているといえます。
日高 有無を言わせず必要となってきたとも思います。
たとえばこの20年間をみても、企業が引き起こした事故は少なくありません。ガス機器・石油機器によって一酸化炭素中毒を引き起こした事故では、メーカーが商品回収の告知CMを出し、「最後の1台まで回収する」という姿勢を打ち出して評価されました。
このころから、お客さまの満足度を上げていかないと企業として成り立たない、と強く意識されてきたのではないでしょうか。
1995年に創設された日本生産性本部の日本経営品質賞によって普及にはずみがついたと思います。
小名川 振り返ってみれば、JMAグループが本格的にCS経営を事業化した92年以降は、バブル経済崩壊の影響もあり、企業にとっては事業モデルをどう変えていくべきか、という苦悩の時期でした。
バブル期とは違ったモデルを志向しなくてはならないというところに、CSはうまくはまったと言えるかもしれません。
日高 そうですね。私が当時書いたものを見ても、「不況になったいまこそCS経営だ」とあります。それがすんなり受け入れられるような時代でした。
小名川 CS経営のあと、BPR(Business Process Re-engineering)という言葉が登場し、CSがそれに飲まれかかった時期もありましたが、CSは依然として残っています。それは経営の理念に根ざしているからでしょう。
私は各業界で真剣にCS経営に取り組んでいる企業が、結果的に業界ナンバーワンとなっていると感じます。つまり、そうした企業がCS経営の神話をつくっている。高成長しているという実証事例が各業界であり、コンサルタントとして目の当たりに見ているのでCSのパワーは実感できます。
日高 たしかにそうですね。90年代後半、経営やマーケティングの領域でさまざまな新しい手法や概念が出てきましたが、CSはそれにあまり影響されず、力を発揮してきました。
私はグローバル企業のCS調査を数多く担当しましたが、これらの企業は世界の拠点において同じものさしで、かつ毎年きちんと調査をしています。その経験を踏まえると、いろいろな手法が出てきてもCSの位置づけは変わらないだろうという気がします。
小名川 企業経営を変えていくためのキーワードとしてはパワーダウンしているのでは、との見方もありますが、ある企業での講演会で、その企業にとってのCSに取り組む成功ストーリーを軸にして話したら、非常に好評でした。
どういう顧客構造か、なぜCSをやるのか、何を変えなくてはならないかなど、CSによって経営を変える意義を話したのですが、これらがトップからボトムまで皆が理解していればCSの重要性はきちんと意識されると思います。
今後はビジネスモデルが変わってきているなかで、お客さまにどういう価値を創造するかという研究が必要でしょう。
日高 私はパワーダウンしているとの見方には賛同しません。
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』が大ヒットしたのは記憶に新しいですが、この本では最初にお客さまの定義をして、顧客が何を求めているかを追求しています。
そうしたマネジメント理論が若い人に受け入れられている現象を見ると、CSは陳腐化してはいないと思います。いまだからこそ、CSは再認識されているともいえそうです。
「CS」や「CS経営」に関する対談や考察などを紹介します。
「CS」の思想や歴史・未来を理解する手助けとして、我が国における“CSの先人”たちの知見をご活用ください。
©2024 JMA Research Institute Inc.